過去の随想 4
一口に讃岐うどんと言っても、実は地域によって特徴が有ります。
最近は差が少なくなってきたと思いますが、元々は東讃岐(東讃)と西讃岐(西讃)では、麺のタイプが違うんですよねぇ。
もちろん、どちらも腰の有る麺なのですが東讃は柔らかくツルツルとした麺で、西讃は硬く歯ごたえ抜群の麺ですね。 箸で持ち上げると1m以上繋がったまま持ち上がるのは讃岐うどんとしては最低条件なのですが、西讃の麺は縦にすると上に5cmは立ち上がるような麺です。
どちらが良いのかは好き嫌いの分かれるところですが私は東讃地区で育ったせいか柔らかくツルツルとした麺が好きです。でも、讃岐うどんの発祥は西讃らしいですから本当の本場物は西讃タイプの方になるのかな?
それに、ツウの人は西讃の歯ごたえ抜群の麺の方を好むようですね。
讃岐うどん初体験の人は西讃タイプの麺だと「ガムを噛んでるようだ」って言いますから、先ずは東讃タイプの麺で心の準備を整えてから西讃タイプにチャレンジした方が良いかも (^_^;)
これを書いていて思い出したことが一つ。
前回の「讃岐うどん7」で書いておけば良かったのですが、うどん店に入った時にその店が讃岐うどん系なのか違うのかの見分け方です。
まず、メニューに「釜揚げ」と「生醤油」の両方が有るかどうかを見ましょう。
どちらも讃岐うどんを語る上で欠かせないだけでなく、本物の手打ちうどん店ならば麺に自信が有るはずですので麺の出来栄えだけで勝負する釜揚げや生醤油は必ずメニューに有るはずです。
どちらかでもメニューに無いならば麺に自信が無い(=讃岐うどんとは言えない)証拠でしょう。
次に、釜揚げの薬味が細ネギとおろし生姜かどうかですね。
中ネギとか太ネギなんかを使っていたり、生姜の代わりにワサビが使われたりしていれば怪しいと思った方が良いでしょう。
冷やしやザルにはワサビを使う店が讃岐にも有りますが、うどんなら基本は生姜です。ネギも讃岐では昔から細ネギが使われます。
また、「釜揚げ」と「湯だめ」の区別が出来ているかどうかもポイントです。
讃岐でも不味いうどんを出す店はこの区別が付いていないんです。うどんに対する知識が不十分なのでしょうね。
後は出されたうどんの麺の端を持ち上げてみて、切れずに1本全部が鉢から上がれば本物の讃岐うどんです。(なお、上がったけど麺の全長が30cm以下だったなんてのはダメです)
久しぶりのうどんネタです。(^_^;)
●東京の讃岐うどん
最近でこそ東京へ行っても讃岐うどんが食べられるようになりましたが、以前は酷いもんでした。
前にも書いた話ですが、雑談室の方で少し話題になったのでもう少し詳しく・・・
二十年余り昔、東京で長期研修を受けていた私は、はじめの一週間で早くもうどんの禁断症状が・・・(─ ─;)
まあ、寮でもうどんが出ることは有ったのですが讃岐人にとっては激不味としか形容できないシロモノ! 仕方なく、東京在住の友人と讃岐うどんを求めて東京中をウロウロしたわけです。
しかし、いくら探しても見つからない。(T_T)
うどんが食べられる蕎麦屋さんは時折見かけるのですが、うどん専門の店は探しても探しても見つからないんです。休日の朝から探し回って夕方になってもウロウロするばかり・・・
しかし、努力はしてみるもの♪
夜の8時前くらいになって諦めかけていたところに、ようやく「手打ち讃岐うどん」の看板を発見!
歓び勇んで入った店内は小奇麗だし、まあまあの人の入り。金毘羅さんをはじめとする讃岐の風景写真が壁を埋めている。
友人も「ラッキー♪ 本物の讃岐うどんの店やんか♪♪♪」と大喜びしている。
だが、メニューを開いてびっくり、讃岐人では聞いたことも無いようなうどんがずらり・・・
しかし、手打ちの店なんだから釜揚げうどんは必ず有るはず! メニューを確認せず、店のねーちゃんに「釜揚げの大お願いします」 と頼むと、 「何ですかそれ?」 の怪答!
え゛っ! ( ̄∇ ̄∥) (釜揚げの無い手打ちうどん店って有り得んだろっ???)←心の叫び
気を取り直して、「生醤油下さい」→「えっ?醤油だけですか?」
(T∇T) ←(「店主と代わってくれぇ~」と心の中で叫んでいる状態)
「ごめんね、厨房へ行って釜揚げか生醤油が欲しいって言っている客が居ますって伝えていただけませんか」と言うと、不思議そうな顔をしながらも店の奥に消えていくおねーちゃん。しばらくして戻ってきたのだが、「店主は讃岐で修行しましたが、そのようなうどんは聞いたことが無いそうです」
(#\~/)ノノ ~┻━┻ ←(心の中では ちゃぶ台返しになっている状態)
この瞬間に、看板の「讃岐うどん」も、店主の言い張る「讃岐で修行した」も大嘘で有ることが判明!
しかし、禁断症状の上に極限状態の空腹である。「詐欺やんけっ!」と怒りつつも次の店を探す元気は無い。仕方なく「片栗うどん」だの「なめこおろしうどん」だのという讃岐では聞いたことすらないうどんを店のねーちゃんの解説を聞きながら各自3杯づつ注文したのだが・・・
出てきたのは、うどんとは名ばかりのブツであった。もう、不味いの何の・・・
当時はまだ大食いだった私は、うどんなら一食で10玉くらいは平気で食べていたのに、この時は禁断症状の上に極限状態の空腹であってさえも、たった1玉半でギブアップしてしまいました。
寮で出されていた不味いうどんは相応の心構えがあっての事。それですら食べ切れずに残していたのですが、この時は「うどん専門店」と言う看板に多少なりとも期待していたため、心の準備が出来ていなかったんですね。よそ見している所に剛速球のデッドボールを食らったようなものです。
「関東の人って、あんなものを手打ちうどんだと思っているのだろうか?」 と考えつつ、結局は蕎麦屋で腹をおこして すごすごと寮に帰り、これに懲りた私は研修中には二度と讃岐うどんの店を探す事は有りませんでした。
☆教訓 「看板を信用してはいけない」
IP 平成14年09月08日
IPアドレスはネットワーク上でそれを利用する人に付けられた個別の名前のような物で、ネットに接続するたびに固有のアドレスが割り当てられます。同じIPは同一のネット上には存在しないため、個人を特定できるのですがインターネットの場合では接続のたびに同じIPが割り当てられるとは限らないため、同じIPだから同一人物というわけではありません。
しかし、IPが判ればプロパイダに問い合わす事で個人の特定は出来ます。
掲示板等で悪質な書き込みをする者は「自分が誰だか判らない」とタカをくくって好き勝手な事をやっているわけですから、「匿名になっていない」と言うことを宣言するだけで、この手の悪戯はある程度まで防止できます。
ただし、スキルの有る人間はプロクシサーバーを経由する事でIPを誤魔化してしまいます。(プロクシサーバーはIPを新たに割り付けしなおす機能が有る)ある程度の者になれば、このプロクシを何重にも経由する多段串と呼ばれる方法で自分の本来のIPを隠してしまいますので、単にIPを見ただけでは何処のプロパイダから出発しているのか判らないようになってしまいます。もちろん、そこまでやったところで本当に判らなくなると言うのは稀で、実際には時間稼ぎ程度の効果しかないようです。
IP記録の具体的な方法ですが・・・
掲示板は殆どの物がIP記録機能が有りますが、これは書き込み者の物しか記録できませんので、悪戯しようと狙っている者がどういうふうに様子を覗っているかまでは判らないという欠点があります。従って、どうしても閲覧者全てのIP記録が必要になってきます。
一番手っ取り早く初心者でも簡単なのはIP記録機能の付いたレンタルカウンターを活用する事ですね。
有料の物は高機能ですし、CMバナーが付く物で辛抱できるなら無料の物も多くあります。
CGIが使える環境ならばフリーのCGIにもログ取りソフトが何種類か有りますので、そちらを活用すれば良いでしょう。カウンターでは取れないログもCGIやSSIなら取れる物が多いようです。
IPが記録できたらプロパイダのチェックです。悪戯するヤツは怪しいプロクシを経由している場合が多いので、変なプロパイダ名が発見されれば警戒していた方が良いでしょう。
チェックは専用ソフトも有りますが、IPドメインSEARCHのサイトでも出来ます。
あまりにも怪しい場合は掲示板の設定でそのIPからの閲覧を禁止した方が良いかもしれませんね。
しかし・・・
IP記録を注意事項に書いたとたん閲覧者が1日あたり100くらい減った。(^_^;)
来なくなった人達って、一体何を考えていたのだろうか???
迷惑閲覧者 平成14年08月25日
今回もホームページオーナー向けの話です。
人間色々な人が居ます。ホームページ開設初期は賛同者の閲覧が多いのですが、アクセス数が増えてくるとそうも行かなくなるもので、苦情やウィルスメール等の嫌がらせが増えてきます。
ウィルスメールなどはメールヘッダだけ見てそのまま削除していいですが、ひつこい場合は経由プロパイダに連絡しましょう。また、正当性の無いクレーム
や利益のためのクレームも相手にしない方が良いと思います。
私の場合ですと、出す情報はあくまでも私個人が受けた印象を文章にしただけのものですから、個人的な感想文に対して不利益が出ると言われても、企業を攻撃する事を目的としているわけではない以上、表現の自由の範囲内であると判断しています。
なお、ここで強調したいのはクレームと反論・指摘は違うという事です。私の受けた印象が誤情報に基づく場合には感想文と言えども当然修正しなければなりません。特に自分の実名を出しての反論や御叱責は出来るだけ返事を書いていますし、内容の修正もしています。当人も本名を明かして意見を述べるのですから、こちらもそれに答えるのが礼儀ですよね。それに、こちらのミスを教えて頂けるのですから、これはとても感謝しなければなりません。
メールと同様に掲示板もオーナーの対応が問われる場所です。
閲覧者が増えてくると非常識な投稿も出てきますし、悪質なサイトの宣伝も出てきます。ウチの掲示板も何度か喧嘩状態になりました。困るのは、不愉快な投稿をする人と言うのは「何を言っても許される」とか「常に自分が正しい」と錯覚している点ですね。他人を不愉快にさせておいて「あの人は感情的なのじゃないでしょうか」などと平然と発言するような人も居ます。
そういう人達に特徴的なのは 、所有者であるサイト管理者を見下した発言が見えたり、匿名掲示板のような言いたい放題が個人のサイトでも通用するような誤解をしていたり、質問に対する回答に礼を言わず次の質問をする、等が挙げられるでしょうか。
掲示板はサイトにとって強力なアイテムですが、管理を間違えると面倒な事になります。そういう書き込みは見つけ次第削除し、そのドメインからの書込み禁止を設定する必要があります。
閲覧者が増えてくると、どうしても手が回らない部分が増えてくるでしょう。でも、感謝すべき相手か・無視すべき相手か・追放すべき相手かこれらは良く考え対応するよう注意する必要があります。
また、場合によってはIPや文章内容を公開したり警察への連絡と言うような対抗措置が必要になる場合も有るでしょう。そういう時のためには閲覧者のIPログを保存しておく必要がありますが、この話は次に機会があれば書くことにしましょう。
前回の続きです・・・
見た目の綺麗さに人が集まるわけではなく、そこに公開されている情報の必要性に人が集まるという話が前回の話でしたが、今回は具体的なアクセスアップの方法について述べたいと思います。
アクセスアップと言えば、まずは宣伝ですね。
どんなに良い内容であっても誰も知らないようでは見に来てくれるはずがありません。
宣伝は積極的に行う必要がありますが、その中でもまず最初にすべき事は検索エンジンへの登録でしょうか。
でも、検索エンジンに一つ一つ登録していくのは面倒です。これには多量の検索エンジンに簡単に登録する事が出来る「一発太郎」という便利なサイトがありますから活用しましょう。個人の方が運営されていますが、非常に優秀で便利なサイトです。
その他にも「日本の検索エンジン」というサイトもあり、こちらは登録に関する細かなノウハウまで解説が付いています。
検索エンジンに登録できれば、掲示板等で積極的に意見を出していくのも良いでしょう。共感してくれる人がページを見に来てくれます。
ただし、そういう場合でも自分の意見を率直に述べるべきではありますが、その意見に反感を覚える人が多けれ効果は逆効果となります。
また、Yahooや2CHのような半公共の掲示板ならば良いのですが、常連投稿者でもないのに他人の個人運営のページの掲示板で露骨な宣伝を行う事はやめておきましょう。マナー違反ですので管理者や常連の方達から極端に嫌われます。あくまでも意見を述べるだけにし、投稿の際にURL記入欄に自分のサイトアドレスを入力するだけにとどめるべきです。
ウチの掲示板にも宣伝書き込みが時折投稿されますし、YAHOOの掲示板に私が出しているスレッドにも有料サイトからの書き込みが繰り返されています。こういうサイトはもしもまともなサイトであったとしても非常に嫌なイメージを受けてしまいます。
検索エンジン以上に効果が有るのはYAHOOやinfoseekのお勧めサイトに掲載される事ですが、これは非常に難しい上に掲載が有料の場合も多く、企業ならば必須ですが個人サイトの場合は諦めた方が良いでしょう。
宣伝は外に向けての行動ですが、勿論それだけでは駄目です。内に向けての行動、即ちページ内容の充実は宣伝以上に重要な因子です。出すべき情報については前回述べましたが、どんなに良い情報を出していても、いつまで経っても同じ情報だけしか出ていないようでは駄目です。
新しく入手した情報は惜しまず出さなければならないですし、定期的に更新される意見集等の情報も必要です。
また、そういう新情報の提供と共に非常に効果が高いのが掲示板でしょう。
閲覧者が自由に意見や感想を述べたり共通のテーマで討議できるような掲示板は、閲覧者参加型サイトと言えるように思います。サイトのオーナーだけでなく閲覧者も情報発信できるという事は非常に重要な事ではないでしょうか。掲示板への投稿が増えれば、それを見に来るリピーターの数も急増します。
そして何よりも、自分のサイトに対する感想を聞く事も出来ますし、見知らぬ人たちとの出会いやコミュニケーションも貴重な財産となるでしょう。また、目新しい情報も掲示板を通じて自然に集まってきます。
個人サイトと法人サイトではページの作りも設置目的も宣伝方法も異なるとは思いますが、「人に見せる」という目的は同じです。ここに書いた情報が多少でも参考になれば幸いです。
アクセス数 平成14年07月28日
私はアクセスを伸ばす為にサイトを運営しているわけでは有りませんがホームページを開設していて何が嬉しいかといえば、やはりアクセス数の伸びと自分の出している情報に対する感謝の言葉ですね。
このサイトのアクセス数ももうじき17万、2年足らずで17万も行けばかなり多い方だと思いますが、これはもちろん閲覧して下さる皆さんや掲示板に投稿下さる皆さんのお陰です。m(_
_)m
CADは私にとって三つ目のサイトですが、最初は個人的なサイトではありながら仕事関係のものでアクセス数は2年ほどで2千程度でした。非公開で仲間内だけのものでしたから、アクセス数も少なかったですね。
二度目のサイトは趣味の関係のもの。これは最初のものと一年ほどダブっていましたがこちらは3年程度の開設期間でアクセス数は6万程度、三つ合わせれば5年間で23万ものアクセスになります。
なぜこんなに多くの方に見ていただけるのかは私自身にも判らない部分が有りますが、私の欲しかった情報と皆さんの欲しい情報が一致していたのでしょうね。自分が集めた情報や言いたい事を臆面も無く出した結果ではないかと思います。
さて、私のように整理の悪いデザインでゴチャゴチャと雑多な情報を出している人間に聞いても逆効果ではないかとも思うのですが、時折「アクセスを増やすコツは何ですか」という質問を受けます。(さすがに時折しか来ないけど・・・)
そういう相談を持ってくる人のページを見るといつも思うのですが、デザインは綺麗に仕上がっているにもかかわらず、中身が薄いんですよね。
私はサイトを作る際のポイントは設計と同じだと思います。自分が買う気のしない機械なんて設計しても客は喜ばないでしょう?
サイトの内容も同じです。自分が欲しい情報すら無いようでは誰も見に来てくれるはずが無いと思います。いくら綺麗なページデザインにしようとも閲覧者にとって得るべき情報が無ければ見る気はしないでしょうね。
会社のページであっても会社案内や商品情報だけ掲示して閲覧者が増えるとは思えません。デザイナーに高額な代金を支払って綺麗なデザインのサイトを作っても、画像やJAVAが多用され表示の遅い重いページになるのが関の山です。
そんな事をするよりも日常業務の中で得たデータを無料公開する方が閲覧者は喜ぶのではないでしょうか?
サイトを閲覧していると派手な配色で目が疲れるページは見たくありませんが、それ以外で「デザインが悪いから見ない」というページは無いのじゃないでしょうか。逆に「綺麗なデザインだから何度も見たい」というページも無いでしょう?
ホームページは情報発信基地です。閲覧して欲しければ、発信すべき情報は「閲覧して欲しい人が欲しがる情報」でなければダメですよね。決して高額な費用を掛けた綺麗なデザインのページに人が集まるのではありません。
CADに限ったことでは有りませんが、アプリケーションのコマンドってカタカナやアルファベットを使っているものが多いですね。
おかげで、コマンドの意味がさっぱり判らない。
日本語というのは非常に良く出来ていて、漢字は表意文字、カナは表音文字、その両者を組み合わせることで無限の表現力が発揮できるようになっています。にも拘らず、なぜ日本語表示が少ないのでしょうか?
日本語に該当の単語が無いのは理解できますが、表意文字である漢字を使えばそんなことは簡単に解決できるはずです。それをせず安易にカタカナを使用するのは、輸入ソフトを翻訳する側の手抜きにしか思えません。
もっと言えば、翻訳する側に漢字を使いこなす力が不足しているようにも思えますし、何よりもユーザーへの配慮が欠如している事の表れとも言えるでしょう。
カタカナを使えば格好良いとか高級そうに見えるなどと考えているなら、それはただの欧米文化偏重であって日本人を相手にしていながら日本の文化を無視した考えです。
カタカナを多用することでユーザーの習得性が低下しているのは疑いようの無い事実でしょう。日本で売るなら日本人に判りやすいコマンド名をつけて欲しいものです。アメリカで売るソフトに、まさか日本名のコマンドは用いないでしょ?
ソフトメーカーさんは、このあたりをもう少し考えて欲しいものです。
躾 平成14年07月14日
子供の躾って難しいものでしょうか?
悪い事をすれば叱る、良い行いは褒めてやる。その判断が難しい場合もありますし、状況によっては叱れない場合も有るでしょう。判断が統一的にはできないのは事実です。
そういう事が子供の感覚には不条理に写り、親への不信や反発に繋がるのではないかという心配も理解できます。
しかし、だからと言って十分に叱らないのは尚更に親や社会への不信と甘えを増長させているのは疑いようの無い事実でしょう。
我々の世代は親や社会・学校の先生からゲンコツと平手打ちで躾けられました。不条理や反発を感じることなんて日常的でしたが、それに対して逆切れする人は殆ど居なかったと思います。他人から叱られても、それを親に言ったところで「叱られる理由があったはず」ということで再度親から叱られるのは当然でしたし、叱られる方が悪いという事を我々自身が理解できていました。
それが現代の子供に出来なくなったのは、親が叱るという事が殆ど無くなったからではないかと思います。
「優しく言って聞かせる」、それは親にとって楽な躾けですが、果たして効果が有るのでしょうか?
自分自身が子供だった頃、叱られるはずの事をしても言い聞かされるだけで体罰を受けなかったら本気で反省したでしょうか?
子供を叱ることはエネルギーを消耗し難しく嫌な事です。子供から見れば不条理な場合も多々有るでしょう。しかし、その不条理を理解させることは何より重要な事のように思います。
子供の頃に大人の不条理を十分に理解させていないからこそ、自己中心的な「オレ様」感覚がのさばるのではないでしょうか?
また、叱るにしても躾と虐待の区別が出来なければならないですね。単に腹を立てて体罰を与えるのは、いくら躾だと言い張っても虐待でしょう。
同様に、躾を虐待と捉えるのは虐待を躾だと言い張る事と方向性が正反対なだけで同じ感性であり、正しい区別分けが出来ていないと思います。
体罰であれ何であれ本人の為に叱る事、それが躾けではないでしょうか。
習得 平成14年06月30日
前回の話と関係してくるのですが・・・
高級と呼ばれるCADほど、自力での習得は困難になるようですね。
「高機能で多彩なコマンドを使い切るためには長期の研修を受けなければならない」「コラボレーションのためには・・・・・」と言う理論が判らない訳ではありませんが、果たしてこういう考えは設計ツールとしてのCADの本筋でしょうか?
確か、大勢が設計に参加する事でより良い製品開発が可能になるという謳い文句がコラボレーションであったと思いますが、大勢が設計変更できることを優先するがために、研修を受けなければならないほど使用方法の難しいソフトを導入するという理論に納得が出来ないのは私だけでしょうか???
コラボレーションのためには「断面形状は簡素に」とも言います。しかし、断面形状が簡素になれば良い設計になるというワケではないでしょう。また、設計が判る者が変更するなら良いでしょうが設計の基本が判らないスタッフまでもが図面変更可能な状況にしても良いのかどうか、私のように古いタイプの人間には理解に苦しむ所です。
ヨーロッパで実績を積んだ手法であっても、それが日本にとって有益な手法とは限りません。ISO9000により多くの企業でTQCが機能しなくなったのに気づいていないはずは無いでしょう。
私は、ソフトユーザーを増やすよりも「他の知識を持ちながら設計も出来る人間」を育成した方がより良い設計につながるように思います。
高度な設計をやっている一部の企業を別にすれば、私は高機能で習得に時間のかかるソフトよりも低機能でもすぐに使いこなせるソフトの方が利用価値の高いソフトのように思います。
必要な機能 平成14年06月23日
良いソフトと悪いソフトの判断ってどこで区別するんでしょうね。
やはり、使うユーザーにとって必要な機能が装備されていて、覚え易く扱い易く、ユーザーの満足が得られるものが良いソフトと呼べるでしょう。
と言う事は、機能の少な過ぎるソフトでは良いソフトと呼べないのは当然としても、機能が盛り沢山に付いていても使う人が必要としない機能が多いものも良いソフトとは呼べないでしょう。
よく、スーパーの食品売り場で「10%増量中」という商品を見かけますが、10%増えることで今まで不足していたものが必要な量になったのなら価値が有る増量でしょう。しかし、今までの量に不足が無いならユーザーにとって本当にありがたいのは10%分の値下げであり、10%の増量は単に「必要以上のものを押し売りされた」だけに他なりません。
今の時代、その増量のために飢えがしのげると言う事も無いでしょう。逆に「残してはもったいない」と必要以上に全部食べて、後でダイエットに苦労するというのが一般的なように思います。
使わないコマンドといえども、それが付くことによってコストが上がります。そのコストはユーザー以外に負担する人はいないのですから、ユーザーからしてみれば使いもしない余分な機能に金を払っていることになります。
しかも、多過ぎる機能のせいで高額な講習を長期間受けなければならないとすれば二重に不要な出費を強いられることになります。
必要な機能というものは、現場によって大幅に異なるものです。その全てに対応しようとすれば最高機能のものが必要となるのは判りますが、大半の企業では二次元なら図面が描ければ良いですし、三次元ならモデリングとアッセンブリ・CAMやCAEへのデータ渡しが出来れば十分だと思います。
高額なものが良いとは限らないのがCADですが、更にその中で自分の仕事に合い、手になじむソフトを選択する事を心がけたいものですね。
機能美 平成14年06月09日
物を見て美しいと感ずるのは何故なのか?
それは、そこに機能美が有るからだと思います。
その物が持つ本質的な用途・目的等を的確にこなす為の性能が秘められているもの、それこそが美の根源ではないでしょうか?
ただ、この場合の本質的な用途とは必ずしも本来の目的ではなく、人が本能的に持っている要求のように思います。逆に言えば何を美しいと感ずるかによって人が物に対して持っている本質的な要求が判ってくるのではないでしょうか?
包丁と日本刀、旅客機と戦闘機、タンカーと戦艦・・・
これらは人の持つ戦闘性が機能美を感じさせるのでしょうね。
一方、そういう本能的な感覚とは別に、デザインと機能が結びついたものを経験や知識から美しいと感ずるものも多いでしょう。
大衆車とF1マシン、10年前の携帯電話と今の携帯電話・・・
しかし、これら経験や知識から美を感ずる物は見る人や時代によって変化するものです。また、実際に機能が貧弱でもゴテゴテした飾りの為に高機能であるような錯覚を受ければ美しく見えます。男児向けのおもちゃには無意味なボタンやボルトの形をした凹凸がデザインされているのはそのためでしょう。
ボタンの多さが機能の高さを示していた時代ならば、使い切れないほどのボタンが付いた機械が美しいと感じられていました。しかし、シンプルな操作でなければ扱い切れる人が少なくなった現在では、操作部分を減らした物の方の機能美が感じられます。
全てに当てはまると言うわけでは有りませんが、これを逆に考えれば「機能美が感じられないならばそれはその時代では機能不足」と言えるように思います。
エンジニアとして何に機能美を感じるのかと言う事は非常に重要な事だと思います。しかし、それは一朝一夕に身に付く物ではなく長い時間をかけて経験と知識から身に着けていかざるを得ないでしょう。
学校に限らず、エンジニアを育てるならそういう感覚を養って行く事が非常に重要なのではないかと思います。
最近は随想を書く時間が無くって・・・(T_T)
と言うわけで、またまた讃岐うどんの話です。
●量の多かったうどん屋
1玉のサイズはうどん屋によって全然違います。スーパーで売っている玉は基本的にはうどんが200g、蕎麦が160g、ラーメンが確か140gだったはずですが、うどん屋の場合はこの量はアテになりません。
ある時、いつもどおり昼食のためにうどん屋に入った時のこと・・・
厨房の上に掛かったお品書きには、うどんのサイズに「小・並・大」と有る。
「小・並・大」と並べば掛けうどんの場合、1玉2玉3玉の意味だが、讃岐人として1玉は小食な女性の量、かと言ってその頃はすでに学生時代のように一食で一升のご飯を食べるなどということは出来なかったので、当然「並」を注文!
副食代わりのおむすびを取ってきてメインディッシュのうどんを待っていた私の前に現れたのは、他の店なら3玉分くらいは優にありそうな山盛りのうどん( ̄∇ ̄;)
私「あのーすいません、私が注文したのは並なんですけど?」
店「それが並です」
私「ここの並って3玉だったんですか・・・(^_^;)?」
店「いや、2玉やけど(-_-#)」
私「・・・・・」(←絶句している)
おむすびを返そうかとも思ったけど、すでに箸を付けていたので返すわけにも行かず、死にそうな思いでなんとか食べました。(T∇T)
●量の多かったうどん屋 その2
ある店での事、またまたメニューに「小・中・大」と並んでいる。
多少は学習能力のある私なので、前回痛い目にあった教訓を生かし「中」の量を先ず聞いてみた。すると、大き目の丼に山盛り入っているのが「中」との事。それならば「小」は半分だから丁度良いかなと思い、小を注文!
間もなく出てきたうどんは「中」よりはやや少ないものの、明らかに他店の中よりは多い!
どうやら、この店の大中小は2玉3玉5玉になっていたらしい・・・( ̄∇ ̄;)
●量の多かったうどん屋 その3
昼の時間から少しずれてしまった入店ではあったが、その店は量が多いのを聞いていた。しかし、昼食を食べそびれた私は非常に空腹であったため「大」を注文してしまったのである。これが悲劇の始まりであった・・・
目の前に届いたうどん・・・、山盛りの限界に挑戦したであろう事は一目瞭然であった。
丼鉢は普通よりも大きい物ではあったが、その中には鉢から優に80mm位は盛り上がっているうどんの山が・・・( ̄∇ ̄;)
ヘタに触ると雪崩そうなので、生醤油なのに醤油を掛けても混ぜることすら出来ず、頂上から順に静かに食べていく以外に対策はなかった。
うどんで「将棋崩し」を体感できると言う「滅多に出来無い経験」(と言うか二度と体験したく無い経験)と、久しぶりに「食べ過ぎて体を曲げることが出来ない」と言う経験をダブルで味わうことが出来た店でした。
自己責任 平成14年05月26日
最近は殆どテレビを見ないのですが、先日偶然にもチラッとみた番組で、金髪にピアスをした10代後半と思われる人が「人を見かけで判断するのはヤメロ」と発言しているのを見かけました。
時間が無かったので詳しく見ていませんが、この発言は身勝手そのものじゃないでしょうか?
私は、職場や学校で禁止されていないなら基本的にはファッションの自由は有って良いと思います。しかし、それはあくまでも自己責任で行うべきものでしょう。
そのファッションを「個性の表現」と言い張るなら、表現されたその人の個性に対して周囲が評価を下すのは当然! 「ファッションでの個性表現」は「見かけで判断されたい」という意思表示そのものでしょう。
個性を表現して置きながら、都合が悪くなれば「人を見かけで判断するのはヤメロ」というのでは、「やりたいことはやる。しかし、悪い評価はするな」ということですよね。
これは自分自身の身勝手さに気付いてさえいない事の現れでしょう。
「こんな格好しているけど。本当は優しくて真面目なんです」と言うのなら、優しくて真面目そうな格好をすることが個性の表現じゃないでしょうか?
社会が正しく評価してくれないのではなく、社会が受け入れてくれないのは自分自身がその評価を招いているからなのです。
「デジカメが欲しいのですがどのメーカーが良いですか?」とか、「PCを買おうと思うのですがどのメーカーが良いですか?」と言うような相談をよく受けます。
この手の相談をしてくるのは初心者が多いのですが、なぜこうも日本人はブランド志向なんだろうかと考え込んでしまいます。
「どのメーカーが良いですか?」と言う質問は品物の性能をメーカーで判断しようとする考え方の現れでしょう。物を作っている人ならば判ると思いますが、どんなに信用できるメーカーの品物であっても個々の製品にバラツキは有るはずです。ましてや全ての製品の設計で最上を目指せるはずも無く、性能の良否は機種によって異なるのが当たり前ですよね。
そして、良い性能とは「自分の欲求を満足させてくれる性能」に他ならないのですから、最終的には性能の良否を判断するのはユーザー自身です。にもかかわらず、それをメーカーで判別しようとするのは自分自身で欲しい性能が理解できていないか、性能の良否を判断するだけの力が無いのかの何れかでしょう。
選ぶなら先ずは「何に使いたいのか」を考える必要があります。デジカメならば簡単な記録に使うのか、HTML等への画像貼り付けに使うのか、プリントアウトして普通の写真として使うのか?
画質と機動性は構造上相反するものです。簡単な記録や画面上での閲覧なら百万画素もあれば充分、しかし、印刷するなら可能な限りの高画質が必要でしょう。ただし、どんなに高画質なデジカメでも35mmカメラの記録力にはまだまだ何桁もの差が有りますが・・・。
レンズの良否を言う人も多々居られますが、フィルムへの記録でさえ充分な眼力が無ければその差は判別できません。デジカメの解像力でレンズの性能を判別できるとしたら、それはかなり劣悪なレンズと言うことになると思います。
デジカメを例に出しましたがこういう事は対象が何であっても同じだと思います。自分のニーズが理解できていれば、必要な機能はおのずと見えてくるでしょうし、選択すべき機種も見えてくるものです。メーカーや機種の違いは「機能の違い」、結局のところ自分のニーズが何で有るのかを知らなければ正しい選択は出来ないのじゃないでしょうか?
でも、自分のニーズが判る人って少ないんですよねぇ・・・(とは言え、私も判らない側の一人だけど (^_^;))
今週は予告どおり、うどんの話です。
●大根の出てくるうどん屋
これは「讃岐うどん4」で書いた店の事です。
1時近くになって、ようやく昼食にありついた私と同僚の二人。さすがにその時間帯になるとうどん屋の中に居る客はまばらです。
生醤油うどんを注文すると店員が持ってきたのは大根とおろし金!
「あのー、これは世間一般で言うところの大根じゃないでしょうか?」
「これをどうするんですか?」
と聞くよりも先に立ち去る店員。( ̄∇ ̄;) (もしもーし! ←心の声)
仕方なく同僚と協議・・・
同僚 「切ってうどんに載せるんとちゃうか?」
私 「アホっ! おろし金が一緒っちゅうことは生姜と大根を間違えたんに決まっとるやんか」
同僚 「大根と生姜は普通間違えませんよ」
私 「けど、大根おろしはうどんに掛けんやろ?」 (注 この頃はおろしうどんの存在はマイナーだった)
「・・・・・」(←考え込む二人)
その様子を見ていたのが、明らかに農作業の合間にうどんを食べに来ていたと見られる野良着姿のおっちゃん!
お 「あんたら、この店初めてか?」
私 「ええそうです」 (←急に標準語になる)
(どうやら、この店で大根を見つめて悩むのは初心者だけらしくって、一目で初めて来た客だとバレたらしい)
お 「大根はなぁ、おろして うどんに ようけ(大量の意)掛けて食べたら美味いんじゃぁ」
私 「そうやって食べるんかぁ、おっちゃんありがとなぁ」
早速、しゃーこ、しゃーこ、と大根をおろし始める二人。そして、間もなく現れた上質のうどんに全部ぶっ掛けて食べる。
二人 「美味いがなぁ~♪」
そこに現れたのは、さっきのおっちゃん。わざわざ私らのテーブルに席を移動して来て、
お 「ワシはなぁ、おろしうどんも好きやけんど これが一番好きなんじゃ」
と言いつつ、絶妙に大根が絡んだおろしうどんをおでんを食べた後の皿(おでんツユとカラシ酢味噌がゲチョゲチョに混ざっている)に浸けてジュルジュルと食べ始めた・・・
二人 (気色悪ぅ~~~~~( ̄∇ ̄∥)) だが、声に出すわけにはいかない。
お 「どや、あんたらもやってみ?」
二人 「いえっ、このままが美味しいですぅっ」 (←合唱)
お 「そうかぁ、美味いんやけどなぁ???」
二人 (頼むから、私らが食べてる目の前でそのゲロい食べ方はやめてくれぇ~(T∇T))
(↑心の叫び)
うどんの味も、おっちゃんの食べ方も、忘れたくても記憶から何度も蘇ってしまう店でした。
随想のネタに困ったら「讃岐うどん6」に続きます。(^^;)
規制法 平成14年04月28日
個人情報保護法案を初めとする3法案が、メディア規制法案と銘打たれてマスコミから総攻撃を受けてますね。
詳細内容が報道されることも無く、マスコミに対する規制だなんだとニュースで騒いでますが、内容が判らないながらも聞いている内にマスコミの姿勢がイヤになってきました。
あまりにも一方的な批判は世論操作としか受け取れません。「知る権利」を盾にとって権利だ権利だと騒いでますが、被害者の神経を逆なでする取材や加害者親族への執拗な取材、記者会見での暴言質問、規制区域内への無断立ち入り・・・
ドラマや漫画を見れば、どう考えても子供には有害な内容であったり、茶髪タレントの氾濫、西洋文化の偏執的美化等々・・・
視聴者である我々でさえ、見ていてイヤになる取材内容は沢山あります。報道を名乗れば何をしても許されるというのはおかしいのではないでしょうか?
自分達が気に入らない物は徹底的に攻撃する姿勢、「国家権力を完全に凌駕するマスコミ権力」をもって自分達に都合の悪い法案を潰す様子は「ペンの暴力」としか感じられません。
何故そのような法案が必要になったのか、自分達が何をしてきたのか、報道という利益の前では他の権利を蹂躙しても良いのか、表現の自由の為にはモラル崩壊を犠牲にしても許されるのか、マスコミはもっと自分達のやっていることを冷静に考えて欲しいと思います。
次回は、またもや讃岐うどん5かも? (^^;)
ここまで来たらこれも書いとかないといけないってワケで、第4弾です。
今でも印象に強い店の話・・・
○ここで食べるの?
20年くらい昔に上司に連れられて入った先は民家の倉庫のような場所、そこで店のおじいちゃんが案内してくれたのは普通の家庭の普通の台所 ( ̄∇ ̄;)
ここで食べろってか??? (゚o・)?
お「何玉食べるの」
(上司の方は馴れた様子で玉数を言っている)
私「2玉」
お「今日はしっぽくだからね」
質問するスキも無く言い残して立ち去るおっちゃん。
どうやら、メニューは日によって決まっているらしい ( ̄∇ ̄;)
5分程度して出されたうどんは確かに美味かった♪
値段ははっきりとは覚えていないが、二玉食べて2百円もはしなかった。
だが、よその家の台所で食べているとしか思えない状態では落ち着いて味わえるわけが無く、腹がおきた気がしなかった・・・
○偶然見つけた店
これも20年近く前の話、仕事で「都会とは言いがたいエリア」を回っていた日の事。
昼時になったが、そのエリアは民家さえまばらな地域! あの頃はそんな田舎にコンビニなんて有るわけが無い時代です。
「今日は昼飯抜きになるかなぁ」と諦めかけた頃、一軒の農家の前に車の列!
並んでいる車は企業名の入った車やトラック、タクシー・・・、んっこれはっ♪
腹を減らせた私の直感が冴える! こういう「関連の無い車」が昼時に沢山止まっているのはうどん屋が有る証拠。
しかし、周囲にそれらしきものどころか、その農家以外に何も無い。だが良く見ると庭先の納屋の中に人影が!
チラチラと見えるのは作業服のおっちゃんやスーツを着たビジネスマン!
「間違いない! あの納屋がうどん屋だ♪」
そう確信して入っていくと、予想は的中! 納屋の一角はうどん屋であった。
味は激美味でしたが、残念なことにこの店はこの数年後に改装され普通のうどん屋になってしまいました。(味も普通の店になってしまってた…(T_T))
この手の店は他にも何件か偶然に見つけた所がありますが、この店が一番印象深かったです。
○行く度に大きくなる店
これもまた20年近く昔の話。その店の近所には他にも3軒のうどん屋があるという、讃岐の中でも超激戦区の中の一軒。
(大体やなぁ、田んぼの中にうどん屋が何件も並んでる光景自体が異常でっせ)
しかも、その中の一軒は讃岐うどんの店としては最初にNHKで紹介されたほどの有名店と至近距離!
その店に最初に行った時は小汚い、いや薄汚い、いやハッキリ言うと民家の一部であり暗くて汚くて狭い店でした。
ところが、1年後くらいに行ってみると小さいながらも独立した小屋が建っていてそこで営業しているじゃありませんか。
店中も小奇麗になって、うどん屋らしい感じになってました。
更にその1年後くらいに行ってみると、今度は店が大きくなってる!
「店が大きくなると不味くなねんだよなぁ」と思いつつ食べてみると・・・、味が落ちてないんですよねぇ♪
更に数年後、市街地に支店数店が出店! でも、どの支店も味は美味しいけど高かった。
更にその数年後、久しぶりに本店に行くと観光バスが何台も駐車できる広大な駐車場を持つ巨大なうどん屋になってました。( ̄∇ ̄;)
しかし、大きくなっても味は昔より更に良くなってて非常に美味いうどんを食べることが出来ました。この店に限っては「改装したら不味くなる」という法則は通用しなかったですね♪
なお、このうどん屋はちょっと変わったうどん屋なので、その話はまたいずれ書きます。
評判がやたら良いので調子に乗っての第3弾!
ああ・・・このまま続くとタイトルを変えないといけなくなるかも・・・(;¬_¬)
私は、前の課では外回りの仕事が大半でした。しかも県内全域をウロついていたもんですから、うどん屋巡りをするのにはちょうど良かったんですよね。
19年間でどのくらいの数の店に行ったのかは判りませんが、少なくとも数百軒は行ったでしょう。
途中1年間は毎日違う店に通ったこともありますし、それ以外にも知らない店が有れば出来る限り食べに行きました。でも、それでも全体の半分も回って無いと思う。
香川は全国一小さい県、人口だって百万人しか居ないのに、うどん屋の数だけは半端じゃないんですよねぇ。
定食屋や大衆食堂、和食の店、そういう店にうどんがあるのは当たり前ですが、ファミレスや最近では少なくなりましたが喫茶店のメニューにまでうどんが並んでいるのは香川だけかも?
勿論、私の行ったうどん屋の数にそういう店は含んでいません。にもかかわらず、数百件回っても半分も行っていないのですから数の多さが判ろうかと思います。
最近は、マスコミ等でもマニアックなうどん屋が次々と紹介されていますが、私でさえその大半は「噂でしか知らない店」ばかり。今となっては中々食べに行くことも出来ないのでとても悔しい思いをしています。
大体、そういう店(製麺所型)は日曜日には生産をしていない所が多いので(今は違うかも)、平日昼間しか食べに行けないんですよね。外回りの仕事で運良く昼時にその方面に居れば行くことが出来ますが、それ以外には無理なんです。
しかも、店が兎にも角にも判り難い!
看板は無い! ノレンは出ていない! 店の造りになっていない! 道から見えない! 駐車場は当然無い!
この5拍子くらいが揃ってるのは当たり前ですからね。
更には住宅地図にも載って無いとか、農家の納屋がそうだったとか、民家の一角がそうだったとか・・・
店の前まで行ってもどこがそうなのか判らないのが多かったですね。店の前どころか、店の中に入ってもそこでうどんを食べさせてもらえるとは考え難い店(?)も多かった。
それでもこの手の店だけでも100軒近くは行ってると思いますが、自力で見つけたのはその中の数十軒くらいかな?
大半は地元の人に教えてもらったとか、上司や先輩に連れて行ってもらったとかですね。私がよく喧嘩してた元上司は超うどん通で、喧嘩するわりには私を大事にしてくれていて、こういうマニアックな店を結構教えて貰いました。
でも、残念なことにその大半は覚えてない、場所も味も忘れてるんですよねぇ・・・
やはり、一回しか行かなかった店は中々覚えられないみたいです。
勿論、インパクトの強かった店は覚えてますけど(^_^;)
(もしかしたら讃岐うどんシリーズはまだ続くかも知れない・・・)
前回、ネタと時間が無くて苦し紛れに書いた讃岐うどんの話が好評でしたので、今回は調子に乗って第二弾です。
(この話は続きだすと際限が無くなってしまうかも・・・)
讃岐のうどん屋には大きく分けて三種類あります。
一つは他県でもよく見かける普通の食事処。これは店に入って席に着けば、店員さんが注文を取りに来てくれるタイプで他県の人が見ても珍しくないでしょう。全国展開している著名店や他県からのお客さんを連れて行く店は殆どがこのタイプです。
ただし当たりハズレが酷くて、いい店はそれなりの価格の上に注文してから食べられるまで時間が掛かります。また、ハズレの店は暴れたくなるほどマズイ店も有ります。まあ、昼休みの時間帯にガラ空きの店には入らない方が良いでしょう。
二つ目はセルフサービスの店。これは我々讃岐の一般庶民が最もよく利用する店で、店に入ると自分でトレーを持ちカウンターでうどんを貰い、自分で湯通しして、具や薬味も自分で選んで乗せます。そして、ツユをかけてから最後にレジで清算して食べます。
価格的にはかなり安めで一杯100円程度からあり、贅沢しても600円も有れば相当の量が食べられます。他県でも時折見かけるようになりましたが、やはり香川県のように極端にセルフサービスの店が多いのは珍しいと思いますので、香川に来たら是非一度は試して欲しい店ですね♪
ただし、店によって若干システムが違うので注意が必要です。(;¬_¬)
先にうどんを貰って具を載せていく流れの店、最初にうどんのサイズや載せる具を申告して先に金を払ってから申告どおりにうどんを完成させる店、具から先に皿に取っていき最後にうどんを貰って清算する店・・・。
システムが判らないときは他の常連らしい客の行動を観察してから行動するか、素直に店の人に聞いてから動いた方が良いでしょう。
なお、セルフの店では長居できません。何と言っても薄利多売、一杯300円前後のうどんを昼の一時間だけ販売して生計を立てているのですから回転が命です。入店から出るまでで5分程度と考えて下さい。最速のファーストフードですね。
そして三つ目は製麺所。
そのものズバリ、製麺所の片隅でうどんを食べさせてくれる、店とは言えないうどん屋さんです。
これは他県には無いと思います。
スーパー等へ卸すために製麺している工場ですから、水も何も有りません。ツユさえなく、醤油をかけるだけというのが多いですね。座る席さえ無く立ち食いオンリーというのも多々あります。
中には、ねぎは自分で裏の畑から収穫してきて自分で刻んで乗せると言う店もあるらしいです。(私は未経験)
なお、店を探そうとしても工場ですから看板なんて出てません。出ていても「○○製麺」という看板ですし、ノレンなんて有るわけが無いのですから探すのは困難を極めるでしょう。地元の人でさえ知らない店も多いです。
他県から来た人には衝撃的な店だと思いますが、辿り着くには知っている人の案内が無い限り不可能と言っても良いと思います。
でも、最近はそういう店がどんどん無くなっていますから寂しい限りですね。原因は後継者不足が殆どのようです。
食べ物商売は時間の制約が大きく、体力も使いますから後継者の確保も難しいのでしょうねぇ・・・
(第三弾へ続くかも知れない・・・(^^;))
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