過去の随想 2
今回のテロは酷かったですね。罪も無い非戦闘員を相手にした大量殺人、今回は日本人や日本企業からも沢山の犠牲者が出ました。心情的には報復攻撃は当然の事だと思います。
しかし、アメリカ型の武力報復が果たして正義なのかどうかは疑問が残りますね。それと同時に、ビル崩落を聞き歓声を挙げるパレスチナ人を見た時、アメリカがテロを受けるのはそれだけ強く外交施策で恨みを買っているからだと言うことも強く感じました。
こういう問題が起きるたびにアメリカは武力行使を行いますが、ベトナムは勿論の事、ハイテク戦争といわれた湾岸戦争でさえも相手国の非戦闘員を大量に殺しています。戦争には決められたリングが有るわけではないんです。何処で戦闘が行われても常に一般人が巻き込まれて行くのは確実な事でしょう。
それに、進み過ぎた兵器を持つアメリカの戦闘は、相手が戦闘員だとしても武器を持たない一般人への武力行使と大して変わりません。有効な反撃の手段が無い相手に最新(より少し遅れの)兵器で一方的に攻撃を行う。これは戦闘とは呼べないでしょう。攻撃される側は受けた攻撃に対して、武力反撃が出来ないから再びテロで反撃するという事を繰り返すのでしょうね。
「国の安全は武力で守る」その姿勢は必要な事だと思います。しかし、原因が何であったのか、その反省を示さず自分の行為は常に力で正当化し、有色人種や異教徒を蔑視し悪であるとイメージ付ける。そんなアメリカ型の正義姿勢を続けていてもどちらかが滅ぶまで報復合戦が続くだけだと思います。
IBMのHELIX問題にしてもそういうアメリカ的正義の思想が根底に有ると感じるのは考え過ぎでしょうか?
後方支援で中東周辺住民の恨みだけ買って、欧米からは参加したとは評価されない。しかも、近隣諸国からは派兵だとクレームが付くのは誰が考えても明白な事です。かと言って日本人を巻き込んだテロを放置する訳にも行かないでしょうし、アメリカの意向にも逆らえないでしょう。弱腰且つアメリカに絶対服従としか見えない日本の政治家にとっては難しい局面になりそうですね。
日曜日に映画「FINAL FANTASY」を見て来ました。
ストーリーはゲームシリーズのような剣と魔法ではなく、完全なSF仕立てで日本映画よりもアメリカSF映画的ストーリーに日本映画の影響が出ていると言う感じでしょうか。
さて、鳴り物入りで宣伝された噂のフルCGですが・・・
最近では実写とCGの合成が珍しくなくなりましたし、ジュラシックパーク3でも極めて現実感のあるCG恐竜が描かれていました。
しかし・・・FFの画像はそれらを凌駕する圧倒的な現実感がありました。もはや、実写との区別はつかないですね。時折、CGっぽい画質の部分が有りましたが、それでも「実写のようなCG」では無く「CGっぽい実写」と言う感じですね。
また、実写では不可能なカメラアングルも効果的に使われていました。それらが無ければ実写との区別は付かないかもしれません。
極めて高度な画像と精密な描写、そこから生まれる圧倒的な存在感は今までの無機質なCGでは無く生命感が溢れるほどの出来栄えです。
現存しない恐竜や、緻密なテクスチャを貼り付ければごまかせる無機物、こういった物と人間(特に若い女性)の描写は根本的に困難さが異なると思いますが、この映画では若いヒロインでさえ実在の人物と区別が付かないほどにリアルな描写がなされていましたね。
使用したソフトは何を使ったのかは判りませんが、ここまで精密な三次元作図がCADに出来るでしょうか?
ハイエンドと呼ばれる超高額なCADは何でも出来るように宣伝しますが、人間や動物のような自由曲面物体を超精密に描画し、それを何十何百と仮想空間上に配置する事が可能でしょうか?
ゲームの「FINAL FANTASY X」を見た時にCAD側が100年かけても追いつけないほどの技術力の差を感じましたが、この映画では更に強い衝撃を受けました。
政策の原案を作るのは文系の高級官僚、それを決定するのは文系の政治家、更にそれを評論するのも文系のマスコミ。確かに、流通を支配しているのは文系人で構成される第三次産業ではあるが、製造業・加工業・第一次産業、これらを無視して果たして政策と呼べるだろうか?
政治家やマスコミが持ち上げる不況対策は大半が「経済対策」であって産業対策では無い。彼らの眼中には株価や金融を始めとする経済界しか存在していない事は明らかです。
経済を考えずに国家の運営が出来ない事は誰でも判りますが、産業振興を考えずに将来を語った所で、それは欺瞞に他ならない事にもっと多くの人が気付いて欲しいですね。経済が救われれば不況を脱出出来るのじゃありません。産業の成長無しで経済成長なんてありえないでしょうし、経済面だけが進んではバブルが再来するだけでしょう。産業と経済とが共に進んでこそ初めて不況地獄から抜け出せるのだと思います。
しかし、テレビを見ていればあいも変わらず経済対策ばかりが議論されています。ITバブルの崩壊だと騒いだ所で、そんなものは去年から兆しは出ていた事だし、いつまでも右肩上がりの産業なんて存在出来るハズが無い事だって誰が考えても判りそうなものです。
次世代のIT産業をなぜ育成しようとしないのか、新技術の産業になぜ資金投入しないのか、また、新しい物とは無縁ではあっても、産業を下支えする中小企業や部品メーカーを何故保護しようとしないのか、経済にだけ目を向けているからいつまで経っても不況から抜け出せないのだと思います。
こういう目で政策を考えた場合、日本の政治に最も欠けているのは理系の人材だと感じます。旧科学技術庁長官に歴代何人の理系人が居たでしょう? 旧通産省も同じです。
技術や産業を統括する省庁のトップに文系人しか置かない。そんな事で前向きな解決策や振興策が出るとは思えませんし、物を作る中小企業をどうすれば成長させることが出来るかなんて事も考え付くはずが無いでしょう。彼らでは金をバラ撒く以外の事は考えつかないんです。
文系の人材の代わりを理系の人材にさせても充分にこなせますが、その逆は不可能です。私は男女平等よりも先に、文系人のポストへの理系人投入が先決問題に思えてなりません。
物の大切さ 平成13年09月04日
近年、物を大切にしなくなったとしみじみ反省しています。しかし、これは社会全体に言える事でも有ります。
その原因は、やはり簡単に次の物が手に入るからでしょうね。いや、簡単に手に入ると言うだけでなくむしろ場合によってはPCのように次々と買い換えなければならない物や携帯電話のように交換した方がお得になるような物すらある状態です。
また、道具や機械は故障すれば修理するより買い換える方が安いですよね。特に電化製品なんかは修理に出している期間の不便を考え合わせると、高額な品物でも無い限りどう考えても修理するのはバカらしいと思える物が大半です。
こういう社会環境の中で子供に物の大切さを教えても効果がありません。
壊れればすぐに次の物が自分の小遣いで買えます。だから、手入れもしないしきちんと保管もしない。不具合が有っても直したり改良したりなんて考えもしない。
そんな状態で、物への感謝の気持ちやいたわりの気持ちが生まれてくるとは考えられません。
食べ物にしても、今の子供たちがお腹を空かせて食事を待つなんて事は少なくなりましたね。いつでもどこでも簡単にお菓子が買えて、好きな時に食べられます。昔のように少ない小遣いで遠くまで買いに行く必要は無くなっています。
当然、簡単に手に入りますから大切にしません。食べ残したままゴミ箱に捨てられてます。
「世の中には食べられない人も居るんだ」などと説教しても、それを実感できないから大した反省も出来ないようですね。
価格破壊と安定供給はより良い生活環境を与えてくれましたが、一方では人間から物へのいたわりの気持ちを崩壊させているように思います。
選択問題 平成13年08月28日
最近の学生を見ていて強く感じるのですが、記述問題を解くのが非常に苦手になってきていますね。
与えられた選択肢から答えを選ぶ事は出来るのですが、自力で正解を導き出す事が殆ど出来ないんです。条件だけ与えて強度計算をさせたら、テキストを見ながら電卓を叩いてはいるものの、全然目的が違う計算をしている場合が多いですし、選択肢を出さずに文章で回答させればトンチンカンな答ばかり・・・
話を聞くと、高校までの教育は選択肢から正解を選ぶ事が殆どだったそうです。
落ちこぼれを出さないための教育は人間から創造性を奪ってしまったようですね。我々の世代は選択式や○×式の問題なんて殆ど見受けられませんでした。その分、途中の計算式や文章表現の為の理解力と言ったものが要求されていたように思います。
試験だけでなく質問の場合でもこの状況は顕著です。殆ど考えることなく「判りません」と答える者が大半ですね。「判りません」と答えれば相手が正解を用意してくれる事が習慣付いているんです。こちらから答えを出さずに「考えろ」と言えば、こちらの表情を見ながら適当な答えを羅列し、当たりが出るまでそれを続ける。決して自力で考えようとはしないんです。
○×式や選択式は採点者にとって部分点を考える必要も無く、回答内容を読む必要すら無い楽な問題でしょう。また、勉強していなくとも誰でも回答が書き込めて落ちこぼれも減るでしょう。しかし、それは教える側にとっても学ぶ側にとっても、安易な「逃げ」と「甘え」でしかありません。
その安易な行動は青少年の甘えを助長し、極端な学力低下と創造性の喪失を招いているのです。文部省がなぜこのことから目をそらすのか、私には疑問に思えて仕方ありません。
学校教育 平成13年08月22日
歴史の教科書問題が世間を騒がせてますね。勿論、私も意見はありますが、それをここで書いてもトラブルの元になるだけでしょうから敢えて論じませんが、真の歴史を教えて欲しいと切に願います。
それは置いといて、前にも書いたのですが数学と理科の教育水準を何とかして欲しいですね。
今回の教科書改訂で更に悪化してます。「落ちこぼれを作らないため」とか「ゆとりのある教育」などと馬鹿げた事を教育評論家は唱えていますが、それで日本の文化水準が保てるとでも考えているのでしょうか?
彼らは、一握りの落ちこぼれを作らないために、日本全体の知識水準を大幅に下落させる事が正しいと言う判断です。ゆとりのある教育は勉強嫌いを作り、「登校しなくても追いつける」「勉強しなくても卒業出来る」、そう言う思想を育てただけに他なりません。
よく、「時代か違う」などと言われます。しかし、たかだか数十年の差で本当に時代が違うと言えるでしょうか?
1世代や2世代で人類が進化するはずがありません。変わったのは社会の利便性と「甘えを容認する風潮」「犯罪を軽視する風潮」ではないでしょうか?
授業中にウロウロする子供、昔なら先生に殴られて親に連絡されてました。今は殴れば先生が傷害罪で起訴されるでしょうし、親に連絡すれば逆に親から苦情が出かねないと聞きます。マスコミからも袋叩きに合うでしょう。
体罰をやらなくても、熱心な教師はマスコミの格好の餌食にされているのが現状のようです。学校は問題を起こさないように子供の機嫌を取り、苦情が出ないように保護者の機嫌をとる・・・
勉強をしなくても良いから、問題だけは起こさせない、苦情を出させない。果たして、こんな現状でまともな人間がどれだけ育つでしょうか。既に結果は出ているのです。理性の歯止めのない青少年、他人に対する思いやりが無く自己中心的な生き方しか出来ない人間、相手が反撃しないと見れば徹底的に痛めつける人間・・・
そして、そう言う連中の武器となっているマスコミ。
私は悪戯っ子でしたから、毎日毎日先生から頭の形が変わるほど殴られていましたが、今でもその先生は感謝しています。もしも、叱ってもらえなければカタギの人生を歩んでいたはずが無いことを自分で認識していますから。でも、今はそういう先生は存在できないでしょう。
我々の世代は今よりも遥かに教育レベルは高かったと思います。モラルも人情も今の若年層とは比較にならない水準で有ったはずです。なのになぜ、その教育方針を捨てたのでしょうか。
日本が進む未来に明るい希望は持てません。
何のジャンルでも同じだと思いますが、ブームに乗ってやって来る人達は善良な人も居ますが、そうでない人も沢山居ますね。もちろん、先達者の中にも両者は混在していますが。
私は自分自身を古株だとか先輩だとかという風には言いたくないですが、今のネット状況には困惑します。大手ネットの掲示板は読んでいて、余り気分の良い物じゃないですし、匿名性を売りにしている掲示板に至っては好き放題の暴言が羅列されているとしか思えません。ゲーム系のサイトは至る所でケンカしてますし、偽情報もザラに有ります。
また、他人の情報やデータを無断転載して問題になったサイトも多く見かけます。
勿論、正しく行動している人も大勢居ますし、私の知り合いには変な事をする人は居ないのですが、どうも全体的に見渡すとモラルの欠如した人たちが多く見受けられますね。
ネット利用者の増加はネット環境の利便性を推進し、ネット関係企業の発展を促せたという大きな長所は有りますが、招かざるユーザーまで招いてしまった事も事実でしょう。
本来ならば、モラルの無い連中は取り締まられるべき対象であるはずなのに、彼らを取り締まる組織が有るようには見受けられません。野放しとも言える状況は益々彼らをエスカレートさせていますし、マスコミもまたそれに拍車をかけているようにしか思えません。
掲示板での出来事を掲示板所有者に責任を問う事が多いようですし、苦情メールは殆どが掲示板所有者に出されているようですが、書き込んだ本人に責任を取らさなければ所有者に責任転嫁しても何の解決にもならないでしょう。「何をやっても無責任で居られる」と言うような認識だけが残り、かえって増長させるだけです。
昔の話をしてもただの昔話にしかならないかもしれませんが、ニフティーが出来るより以前は、意見を出す場合に匿名で出したりしたら、それだけで非難されていました。それだけ、発言には責任を持っていましたよね。非常識な書き込みは、管理者まかせにせず周囲全体が警告を書き込んでいたようにも思います。
悪い話の全てがブーム組だとは思えませんが、人口の急増と共にモラルの急落が起こっているのは事実です。
「昔は良かった」と感じるのは歳を食ったせいなんでしょうか???
サーカム 平成13年08月07日
私の所には、ウィルスメールが良く来ます。
届くウィルスは、以前はw95hybris系の物だけでしたが、ここ最近はサーカムばかりですね。
w95hybris系は感染したマシンでネットの巡回をすれば、サイトに書かれているメールアドレス宛てにウィルスを自動配信します。これはそれほど怖いウィルスでは無いのですが、感染すれば信用失墜に繋がりますし、不特定多数の他人に迷惑を掛け恨まれる事になります。以前にもBBSに書いた事が有るのですが、私宛てに届くと言うことは「本音のCAD/CAM」を閲覧して下さっている皆さんの中に感染者が居るという事です。どうか、くれぐれもご注意ください。
しかし、これとは比較にならないくらい怖いのがサーカムです。「Ilove youウィルス」と同様に、アドレス帳に格納されている全アドレスにウィルスを配信するのですが、その時に添付ファイルを「My
document」フォルダの中から無差別に選択し、ウィルスを植え付けて送付するという極めて悪質な活動をしてくれます。従って、どんなに極秘のデータであろうが恥ずかしいデータであろうが、友人知人にバラ撒かれる事になります。これは非常に危険で怖い事ですね。
また、その際メールの送り主の名前はパソコンにログインしたときのIDが使用されますので、送り主が誰なのかもバレてしまいます。
さらに、こちらは実際にシステム破壊を行う可能性があります。数十分の一の確率で無差別にパソコンのシステムを破壊したり、全ファイルを消去したりします。あらゆる面で大変危険なウィルスですので絶対に感染しないようにして下さい。
このウィルスは添付ファイルを開いた時点で感染しますから、添付ファイルを開かずに削除してしまえば感染の恐れはありません。しかし、このウィルスの巧妙な点は知り合いのID名で送られてくるメールの添付ファイルであることと、メールの本文には「添付ファイルの内容についてコメントを下さい」と書かれている事です。(文章は英語)
誰だって、知人名のメールで「内容にコメント下さい」と書かれていれば開いてしまうでしょう。このため爆発的に被害が広がっています。
もしも、知人から添付ファイル付きのメールが来たら、内容が判っていない場合は本人に問い合わせてから添付ファイルを開封するようにしましょう。
また、ファイルを送信する場合には本文の文面に添付したファイル数とファイル名、それに内容が何なのかを記載しておけば受信者側も安心して開封できると思います。
私宛てにサーカムが送られてきていると言うことは、残念ながら私の知人が感染していると言う事です。ここをご覧になられた方は再度ウィルスチェックをしてみて下さい。サーカムは巧妙なウィルスですので発見も駆除も極めて難しいようです。最新版のデータを持つウィルスガードでさえすり抜けてくるようですから厳重な注意が必要です。
ウィルスの詳細と簡易チェックツールは
http://www.symantec.com/region/jp/sarcj/sircam.html
http://www.symantec.com/region/jp/sarcj/data/w/w32.sircam.worm@mm.html
に有ります。
ウィルス対策のポイントは大きく分けて3つです。「不正コピーのアプリは使わない」「怪しいメールは開かない」「アンチウィルスのインストール」、この3点さえ守っていれば感染する確率は極めて低くなります。ただ、アンチウィルスのデータは常に最新版をダウンロードし更新しておかなければなりません。最近でしたら、ほぼ毎日更新する必要があります。
迷惑業者 平成13年07月31日
最近減りましたが、怪しい販社2社がCAD関係の掲示板にコマーシャルの書き込みを繰り返していました。
どちらも、正規ルートの商品かどうか確認できませんでしたが、コマーシャルの文面から考えると少なくとも1社はとても合法的とは思えない文面でしたね。
商品に対して変な噂がある以上、掲示板管理者としては場合によっては責任を問われる事もありうることですし、少なからずイメージダウンになることは間違い有りません。しかも、削除しても削除しても次々と書き込むのです。これは、掲示板管理者にとっては極めて迷惑な事ですし、被害も甚大です。当然、どの掲示板管理者も怒っているのですが、それでもその業者は書き込みを続けてます。
このような行為を行うのですから、少なくとも他人への迷惑を考えないという面では尋常な感覚の商社でない事は確実ですね。
そういう感覚の商社から何万円・何十万円というような商品を、あなたは買いますか?
しかし、呆れるのはメーカーの対応です。
怪しい業者の書き込みに対して、何の対応も示しません。メーカーは看過しているだけなのか、それとも迷惑業者は正規の販社なのか??
何の対応も見えないと「もしかしたら普通の安売り業者なのか?」と言う疑問を持つ人は少なくないと思います。
もしも、メーカーの意図した販売で無いならば、メーカーや流通関係者はその旨をはっきりと宣言する必要が有るのではないでしょうか?
ユーザー間の噂に頼って放置すれば、ソフトメーカーとしては自殺行為に他ならないでしょう。
FF X(ファイナルファンタジー10) 平成13年07月24日
またゲームを買った・・・、今回はFF X(ファイナルファンタジー10)です。
2ヶ月前から予約していたので発売日に入手できたのですが、子供と取り合いになるため中々進まない・・・
とは言え、すでに中盤は越えたのかな? 感想ですが、ストーリーが良いですね、有名作家の名前で小説にしたら結構良い賞が狙えるかも?
また、プログラムは誤作動も違和感も無く、優秀です。動作も軽く、ストレスは感じません。しかし、これほどのプログラムをあんなちゃちなマシンでストレス無く動作させるのですから、凄まじいまでのソフトウェア技術ですね。安易にMFCに乗っかっているような重たいWINソフトとは技術レベルが優に数ケタは違うだろうと言うのが正直な感想です。
今のパソコンソフトはOSのガードが堅くなったし複雑になり過ぎましたね。MFCに乗らず自力でソフトメーカーが開発しようとすれば、かなりの技術力が必要となるでしょう。
しかし、安易に言語やライブラリに用意された関数を使いプログラムを組み立てていくだけならば、それは私のような低レベルの者でも少し勉強すれば可能となる話です。
高額な価格を付けるソフトならば、それなりの技術力を投入して欲しいですし、日曜プログラマーではアルゴリズムの予測が出来ないような高水準の物を出して欲しいと切に願います。
FF XのCGはFF8の頃と余り大きな差は感じられませんでした。しかし、秀逸であることに変わりはありません。
FFは、映画版のカットもTVで少しだけ見る事が出来ましたが、圧倒的な描画力は驚異としか表現出来ませんね。その内、映画でも人間が役を演じる必要は無くなるような気がします。CM用に最高画質のシーンだけ流したのだとしても、実写なのかCGなのか殆ど区別できない所まで技術が進んでいる事を実感しました。
CADで、あれだけの自由曲面で構成されたサーフェスモデルが作成出来るようになるにはあとどのくらいの歳月が必要なのでしょうか?
同じ三次元画像技術に立脚している3DCADとCGだと思いますが、両者を比較すると泣きたくなるほど絶望的に巨大な差をそこに感じます。スクエア(FFのメーカー)が高技術過ぎるのかもしれませんが、もう少しCAD業界にも頑張って欲しいですね。
しかも、それほどまでに高水準の技術が投入されたソフトでさえ1万円未満の価格帯なんですから・・・
小遣い確保 平成13年07月17日
「男の小遣い」「女の小遣い」と、小遣いシリーズを連作で出しましたが、どちらも悲惨な男の生活をレポートしただけになってしまったような気がする・・・
今回は、彼らが何故そのような悲惨な人生を送るハメになったのか、防御策は無いのかを考えたいと思います。
まず、一番の原因は結婚前にきちんと話し合っていない事が敗因ですね。シアワセな人生になるのかシワヨセな人生になるのかの分かれ目なのですから、命がけでしっかり交渉しときましょう。
相手が交渉に応じず、自分の意見だけを押し通そうとするなら、所詮はそういう相手だったのです。自分の人生かそれとも相手かのどちらかを諦める決断が必要です。
話し合う内容ですが、亭主の立場が家庭内で低くなる一番の原因は「妻から小遣いを貰う」という立場に追い込まれる事でしょう。これは給料を全額渡すからダメなんです。給料の中から生活費を妻に渡すようにしておけば、そんな不幸な目に遭わずに済むのですからその方向で交渉を進めておきましょう。変に見栄を張って「給料は全額渡します」などと口走ったらお仕舞いだと考えましょう。大体、昔は給料を袋ごと妻に渡す亭主なんて殆ど居なかったんです。そういう先人の知恵を学びましょう。
私は、親父が母親に「月給から生活費、ボーナスは全額(実は全額ではない事も私は知っていた)」を渡していたのを知っていましたから、それを見習って給料の中から生活費を渡すようにしています。妻の実家も、同じ状況だったので結婚前の交渉はすんなり通りました。
もしも、給料を全額渡さなければならないとしても、自分の小遣いは「給料の何%取る」って決めておきましょう。金額ではなく「%」で決めておくのがポイントです。固定金額では若い内は良いとしても年を食うに従って、年相応の経費や物価上昇に追いつかなくなります。
未婚ならこれから交渉すればいいのですが、すでに結婚していて薄幸な生活を余儀なくされている場合、これは少しハードな場面が必要になりますね。しかも、成功の確率は極めて低い・・・
当然、まともに交渉して成功した例は私の知人の中には一例も有りません。切々と自分の悲惨な現状を説いても、相手にされないのが通例です。さらに、聞いた話では下手に交渉したために更に減額された例もあるとか・・・。
かと言って、離婚をチラつかせても本当に離婚されたりしたらもっと酷い目に遭いますからやめておいた方が身の為ですね。
効果は期待出来ないけれども、小遣いが無い事で恥をかいている事、そしてその恥は妻や子供に向けられると言う風に、自分の悲惨さよりも妻や子に対する恥として交渉する方が可能性があるようです。
それでもダメなら家出するくらいの根性を見せないと交渉にならないかも?
出張前に交渉してみて、ダメなら出張だと言うことを言わずにそのまま出張するとか・・・(ただのフェイントですが)
上手く行けば、ほんの少しは気にしてくれるかも知れませんね??(もしもやるなら自己責任で)
生活費が本当に過酷ならば仕方有りませんが、そうでないならば「たかが小遣い」とか「自分が辛抱すれば」などと考えてはいけません。妻が夫を小バカにする家庭では子供も父親をバカにしますし、社会の上下関係もわきまえません。それは、子供にとって畏怖し尊敬する相手が居なくなるからです。
いくら勉強に金をつぎ込んで優秀な子供に育てても、社会で通用しないマザコンの甘えん坊を育てたのではダメでしょう。
ただし、小遣いを使い過ぎる父親は家庭や子供をダメにしますから、何事も程々に。
女の小遣い 平成13年07月10日
夫が毎月決められた小遣いで細々と生き長らえているのに対して、妻の小遣いってもの凄く不平等な気がしませんか?
ウチのようにカミさんが殆ど小遣いを使わなくて、私が無駄遣いが多い、なんて家庭は知り合いの中には少ないですね。(注 生活費を遊びに使い込むような知り合いは居ない)
妻の小遣いは生活費と一体化していて金額も使途も曖昧になっていませんか? つまり、女の使う金は小遣いではなく必要経費の扱いになっているように思いませんか?
夫が昼食で「かけうどんにすべきか、贅沢してキツネうどんにすべきか」を悩んでいる頃、妻は友人達と優雅にランチタイム・・・
夫の服はバーゲンで安く買った売れ残りで、自分の服と子供の服は・・・(←書くと怖いから書けない)
さらに、誤魔化せない物を誤魔化そうとする為に大量に買い込む化粧品。
見栄を張りたいのは判らないでもないけれど、その為に亭主は人からタバコを貰って回ったり、昼食代を借りたりしてるのを知ってるんでしょうかね。可哀想な男の行動を他人に見られると、大恥をかいているのはその妻なんだけどなぁ?
服や化粧品は生活の必要経費じゃないでしょ? 男の昼飯が小遣いの範囲で、妻のランチが必要経費って事に矛盾を感じて欲しいですね。男女の平等はこういう面にも適用されるべきでしょう。
でも不思議と、働く女性にはそういう考えの人が少ないですね。常に社会人として見聞を持っているからなのでしょうか? それとも、平等の意識が強いから自分も働いているのか??
男は結婚したら生活水準が大幅に下落するのに対して、女は結婚しても生活水準を落とさない人が多いように感じます。家庭内での労働に男女平等を主張するなら、生活水準も平等でないとおかしいですよね?
男の小遣い 平成13年07月03日
世の中の働くお父さん、お小遣いはいくら貰ってますか?
色々な番組で亭主族の小遣いの実態が報道されてますが、あれってまだマシな方じゃないのかな?
私の周囲はもっともっと過酷な人生を歩んでいる人が大勢居るんですが?
ワンコイン亭主って言っても月額にすれば1万5千円ですよね、私の周囲には月額1万円の小遣いで昼食からタバコや酒代までカバーしなければいけない人や、2万円で更にガソリン代まで払わされる人(彼はガソリン代だけでも2万円に近いので小遣いはゼロに等しい)まで居ます。
まあ、カミさんを働かせたくなければ辛抱するしか無いのかもしれませんが、往々にしてそういう家庭は奥さんの衣装代と子供の経費には金に糸目をつけない場合が多いですね。
子供は有名幼稚園や有名小中学校に行かせた上に、母親同士の付き合いの仕方で子供がバカにされてはいけないから(口実)とファッションや昼食会に金を掛ける。その頃亭主は過労死とリストラの心配をしながら、「平日半額」のバーガーで飢えをしのいでいる・・・
子供の小遣いより亭主の小遣いの方が少ない家庭も多いように思います。大体、中高生が携帯電話を使い放題に使っているんですよ。どう考えたって亭主の小遣いよりも子供の電話代の方が高いでしょう。
なんか、おかしいとは思わないのでしょうか?
「子供のためだから仕方無い」って諦めて良いのでしょうか?
そんな環境で育った子供が父親を大切にしてくれるとでも考えているのでしょうか?
ましてや、まともな人間に育つと考えているなら父親として失格でしょう。親子は上下関係の第一歩、一家の主としての権利を守る事は子供の人間教育上大切な事です。
小遣いを殆ど貰えていない者の一人に聞いた事があります。
「お前幸せか?」
彼の答は、「別れたら、慰謝料で丸裸にされて、養育費で給料全部取られるのが判ってる」でした。
今の日本の裁判が悪いんですよね。離婚調停になれば余程の理由がない限り慰謝料は男が払うようになってます。親権は母親が優先で、子供を取られた上に元妻が再婚しても養育費は 払い続けなければならない。これはいくらなんでも酷すぎる話ですが現実の話です。
男は自分が不幸だと判っていても離婚すら出来ないんですよね。
暴力男やマザコン男の場合は女性の権利を守るべきですが、明らかに男が可哀想な場合はもう少し人情のある判決が出せないのでしょうか?
弱者保護も行き過ぎると法律そのものがダメに見えます。
BBSでも書いたのですが、CADってソフトはパソコンで使われる方が多数を占めるようになった今でも、高額ソフトはメインフレーム版からのエミュレーション版が多いそうですね。
なぜ、PC用に開発しないのでしょうか? 技術的にはメインフレーム時代からのお下がりのシロモノなのに何十万何百万と言う価格をつける・・・
エミュレートするのに金が掛かるから?
それならゼロから作り直せばいいんじゃないの?
メインフレームのソフトって技術的に高技術なんでしょうか?
私はPC側の人間でしたからメインフレームのソフト開発がどのようなものかは判りません。しかし、10年以上前だと一般的に言われていたのは、「非力なPCのソフトは徹底的に無駄コードを省き最小の命令で最大の能力を引き出す必要が有る。」と言うような事でした。一方、メインフレームのソフトはCPUパワーに甘えた物が多かったと聞いております。
PC向けソフトの方が、それだけ高技術だったのではないでしょうか?
もしも、今の高額CADソフトがPC向けに開発された物ではなく、メインフレームで開発された技術をそのまま引きずっているのであればPC向けに最適化されているとは思えませんし、エミュレートで動作と言うことも頷けます。
ソフト技術は日々進化しています。10年前と同程度の性能しか持たないのであればそれはすでに化石と呼ばれても仕方無いでしょうし、進化させる事が出来ないのであれば、ソフトメーカーとしてはすでに競争力を失っています。
見かけだけ変化させて、実際の中身は古に進化を止めた化石ソフト、そういった物が幅を利かせて高額な価格で販売されているのであれば、ユーザーはそれを理解した上で金を払っているのでしょうか? そして、そんな商売がいつまで続けられるのでしょうか?
まあ、そんな例はCAD業界の一部だとは思いますが、業界全体が本気で改革していかないと、後の世でユーザーに多大な不利益を与える事になるかも知れないと言うことを、少しでも考えて欲しいと思います。
3DCADとCGのソフトウェア上の違いって何があるのでしょうか?
- 数値入力→CGも可能
- 変形と描画機能→CGが圧倒的に上
- 寸法表示機能→CGに必要が無いから付いていないだけ
- 精度→CADが上(CGに必要が無いだけ?)
- ソリッド化→サーフェスだけしか作れないCADもある
- 解析機能→CGに必要が無いから付いていないだけ
- 動画機能→CGが圧倒的に上
- レンダリング機能→CGが圧倒的に上
とまあ、こういうことを考えていくと、だんだん泣きたくなってくるのですが、CGソフトと3DCADのソフトウェア技術上の違いって実は全く無いのじゃないかと言う気がしています。
確かに用途は異なりますが、本質的な目的はほぼ同一ですから差の無いものになっても仕方無い事でしょうね。極端に言えばCGソフトの一分野が3DCADであると言っても良いように思います。
逆に言えば、技術的に殆ど差が無い物なんですから、簡単に融合させる事が出来るでしょう。CADユーザーの欲しい機能がCGには有りますし、CGにCADの機能や操作性を付加すればより高機能になるように思います。
両者の融合はユーザーにとって非常にありがたいものとなるでしょう。実際、CADとCGを両方使用しているユーザーさんも多いと聞きますから、1本のソフトで両方の長所が生かせるならソフトの数もオペレーターの数も節約出来る筈です。
しかし、そう考えるとCADメーカーの立場って非常に脆いんじゃないでしょうか?
ミッドレンジCADは50万以上で販売、しかしそれ以上の描画・動画・編集・レンダリング等の機能を持つと思われるCGソフトは5万以下で実売されています。
もしも、CGメーカーがCADタイプのCGを発売したらどうなるでしょうか?
また、それが販社にも大きな利益をもたらす価格設定であったり、ネットやマスコミを活用してコマーシャルしたら・・・
残念ながら価格体系から考えても技術力から考えても、今のCADメーカーで生き残れる企業は少ないでしょう。 しかし、それが遠い未来でない事は認識して欲しいですね。その時のために、今から少しでも技術力を向上させて、競争力のある価格体系を作り上げて欲しいと切に願います。
国際感覚 平成13年06月12日
政治家がよく国際感覚と言う言葉を口にする。マスコミに出てくる評論家も同じくその言葉を口にする。
口にするのは良いのですが、意味が判ってるのでしょうか?
私は日本ほど国際感覚の無い国家は無いと思う。
平和だ平和だと浮かれていても、それは日本の領土内で武力衝突が起こっていないだけの事ですよね。今この瞬間でも、家を壊され砲弾から逃げている人たちはいるでしょう。それに、日本が安全だと考えるのも平和ボケし切った証拠でしょう。目標「東京」とセットされた核ミサイルは世界にどのくらいあるのでしょうか?
そんな事に目を向けず、平和だと言い張る。これが国際感覚なのでしょうかね。
文化にしても同じ・・・、ライフスタイルや権利の主張だけを欧米から取り入れて、それに伴う弊害や義務には目もくれない。問題が起こってから、行政や企業へ責任転嫁しても手遅れだと思うのですが。
政治家の話し方にしても同じですね。国際感覚を謳う政治家でさえ、官僚作成の原稿を代読するだけ。アメリカの政治家がそんな事をしているでしょうか?
自分の意見を自分の口で言えない政治家に国際感覚があるとはとても思えません。
加えて、日本の政治家の冗談のセンスの悪いこと!
アメリカ大統領は真面目な話の中にでも冗談を交えていますし、常に周囲の人が笑える状況と言うものを作っているように思います。それも、日本でいえば関西系の笑いに通じるような機転の効いたジョークが多いですよね。
それに比べて日本の政治家を見ていると泣きたくなってきますね。「堅物というイメージがそんなに欲しいか?」と聞きたくなるような老人ばかり・・・。喋れば官僚用語の羅列、たまに冗談を言えば、聞く方が痛くなるようなオヤジギャグだけ。少しはヒネリの効いた冗談が言えないのでしょうかねぇ・・・。
ただ、小泉首相や田中外相はそのあたりが判っているのでしょうね。だから人気が下がらないのではないでしょうか。他の政治家も冗談の内容にケチを付けるよりも先に、見習うべき所は見習って欲しいですね。
遊び 平成13年06月05日
最近は昔と比べて外で遊ぶ子供が居なくなりましたね。「減った」と言うより「居ない」と表現した方が適切な状態でしょう。
原因は色々有るでしょう
親から見れば・・・危険な人間が増えたので子供だけでは遊ばせられない、交通事故が心配、遊ばせるより塾に行かせたい・・・
子供の側としても、ゲームの方が楽しい、外で遊ぶのが面倒だ、遊べる友達が居ない・・・
しかし、我々の世代は遊びの中で対人関係や歳による上下関係を養えたし、物や現象に対する知識欲や興味を持てたと思います。ケンカの中からでも、暴力の限度やマナー、を学ぶ事が出来たし、ケンカの後は強い友情で結ばれる事も経験出来ました。
また、危険な遊びは好奇心を育てたし、ストレスの解消にも役立っていたのではないでしょうか?
木や崖・石垣があれば登りたがったし、それによりバランス感覚や体力を培ったと思います。どのくらいの高さから落ちればどのくらい痛く、どの程度のケガをするかと言う事も経験から認識できましたよね。それは当然、大人になってからの危険予知に役立っているはずです。
弓矢を作って遊んだり、鉄を叩いて刃物を作ってみたり・・・、そういう遊びから物作りの楽しさ、機械への興味、道具の知識、材質と特性に関する知識と言うものが育っていったと思います。今のように、接着剤を使わないプラモデルや組み立てキットを刃物無しで組み立てるだけの技術家庭科でそんな体験が出来るでしょうか?
爆竹なんかでも良く遊びましたね。地面に穴をあけたり、物を破壊したりする事でストレスの解消が出来ていたと思います。
犬のフンに爆竹を刺して点火して逃げる、と言うような過激な遊びもしてましたね。(^^;)
まあ、これは一度だけ不慮の事故(?)が発生したのでそれ以来止めましたが・・・
爆竹って、導火線に当たり外れが有るんですよ、こういう遊びの時は出来るだけ導火線がヘロヘロになっていて火薬の抜けたものを選ぶのがポイントだったんですが、その時は導火線と言うよりただの紙紐状態の物を選んでしまったんですね。
従って、点火しても中々爆発しない! 物陰に隠れて、まだかまだかと待っているうちに5~6歳の子供が数人そのブツの方に近寄って来るんです。みんなが「危ないから来るなぁ~」と叫んでも当の子供は何事か判らずに立ちすくむだけ・・・
当然、火が内部に達した途端、待ちに待った爆発が!
その子供にとっては、それまでの人生で最大最悪の大惨事であった事だろう・・・ (;¬_¬)
まあ、それは置いといて・・・
今の子供たちは爆竹自体が禁止されているから、そういうストレスを一気に発散出来るような危険(?)な遊びも出来ないですね。(最近は犬のフンも落ちていないけど・・・)
好奇心も知識も育たず、体力もつかない、ストレス発散も出来ない…、そんな育ち方で本当に有望な人材が育つとは思い難いですね。
異種学問 平成13年05月29日
技術の判る営業って有り難いですよね。話をしていても簡単な説明でこちらの言いたい事が伝わります。逆に、技術の事が判らない営業なんて迷惑以外の何ものでもありません。長々と説明した挙句に「技術の者を連れて来ます」なんて事を言われると「二度と来るな!」と言いたくなります。
まっ、これは逆に事務系から見れば「営業の判らない技術屋は要らない」ってことにもなるのでしょうけど・・・
私は、人材の良し悪しと言うのはその人の総合力じゃないかと思います。もちろん、対人業務の必要が無い職場なら専門知識だけが秀でていればいいのかもしれませんが、一般的に企業内で本当に使える人材と言うのは技術と対人業務の両立が出来る人じゃないかと思います。
しかし、残念ながら現実はそのどちらかに偏ってしまいます。これは学校で学ぶ事が何れか一方を選択せざるを得ないからではないでしょうか?
高校の商業科を出た人間が工学部に進学出来れば、商業知識と工業知識の両方を融合させる事が出来るかもしれません。工業高校を出た人間が経済学部を専攻できれば経営戦略は急速に近代化出来るかもしれません。
しかし、現実には不可能に近いでしょう。高水準の大学ならば進学専門の普通科高校からの進学でなければ余程の高能力者でなければ不可能と言えるでしょうね。
私は高校の普通科を無くしたらいいと思います。普通科でなければ学べない学問の中に、果たして本当に必要な知識が有るでしょうか? 大学入試にしか使えない不必要な知識を詰め込むだけなら、その3年間は人生にとって無駄としか言えないのではないでしょうか?
むしろ、文系科から理系学部へ、理系科から文系学部への進学を可能とするような受験制度を創設した方が社会の発展にとって大きな財産となるように思えてなりません。
私のCADCAM科の生徒には工業科・普通科・農業科・商業科・・・、様様な高校を出た生徒が居ます。入学時の初期能力で比較すると、さすがに工業高校を出た連中は一味違いますが、県下有数の進学校を出たメンバーも商業系を出たメンバーも全く差がありません。進学校で学んできた事は工学を学ぼうとする者にとって殆ど役に立っていないのです。
実際に就職すれば、商業科からウチに来た生徒の方が事務系の知識と資格を持っている分だけ企業にとっては嬉しい人材となるかもしれません。
そんな学問のために、人生で一番大切な時期を3年も無駄に使ってしまうことは大きな損失に他ならないでしょう。
普通科を全面的に廃止し、高校で学んだ事とは全く異なった方向へ進学させる。その方が人の能力を向上させるにはより良い道だとは思いませんか?
異業種交流 平成13年05月22日
異なった業種間での情報交換を指す「異業種交流」という言葉が最近はあまり聞かれなくなりましたね。交流するべきところは一通り、交流が終ったんでしょうか?それとも不景気だからそれどころでは無いのかな?? (私は不景気の時こそ必要だと思いますが・・・)
自社のノウハウを活かし異業種で新規事業を開拓したり、異業種の情報を自社製品に活用するという事は企業の発展にとって、とても意義深く重要な事ですね。
同業者間では停滞してしまった技術であっても、異業種からの情報が付加される事で再び成長を再開するような事例も多々有ったように思います。
これは一つの固定観念の打破でしょうね。ダメと思い込んでいても異種の技術では簡単に解決出来る・・・。
異業種と言う別の角度から違う視点で旧来の技術を捉えることが出来るからこそ、この固定観念を打ち破り大きな前進を得る事が出来るのではないかと思います。
私としては今のような不景気の時期こそ、異業種交流はどしどし進めて欲しいですね。
私は、前の課で各種の業種を沢山見てきたつもりです。企業への技術指導の際には異業種で見た技術を、その業種向けにアレンジして指導するだけでも大きな効果が上がっていました。自分たちにとって常識的で些細な工夫でも、異業種にとっては飛躍的な前身の糧になる場合も有ります。
ただし、物まねにならないように注意して欲しいですね。単純に異業種の真似をしても成功する可能性は低いでしょう。大切なのは自分の業種に合う様、工夫する事です。これは活用したい「工夫点」の意義や理屈を充分に理解できないとダメですね。
その為には、異業種ともしっかりと交流を深めて、物を聞きやすい関係作りをする事が大切ですよね。
横文字 平成13年05月15日
会社名や商品名に横文字の名前がやたら目に付くと思いませんか?
必要性が有ってやってるのなら仕方ないんですけどね。大抵の場合は「イメージが良さそうだから」「高級そうに見えるから」そんな理由が多いですよね。
でも、日本語に直したらマヌケな名前や意味不明の名前の多い事・・・
日本人が読むには充分な意味が判らず「カッコイイ」ように見えても、外国人が読んだら「日本人はこんな程度の低い名前の付け方するのか」って思われてるんじゃないでしょうか?
全ての横文字名称が悪いとは言いませんが、せめてその言葉の国の人から見て変に思われないような名前にして欲しいですね。
今の日本は何でも横文字にしたがる悪いクセが有ります。同時に横文字使えばカッコイイと思いたがる悪癖も有ります。
なぜ、自国の文化を無視するのでしょう。日本は英語圏でもないしフランス語圏でもありません。外国語が使えればエリートだというような意識があるから、何にでも横文字を使いたがるのですし、意味が理解できていないから横文字で名前が付けられた物を高級そうに思うのでしょう。でも、自国語すら満足に扱い切れない者が欧米語を並べ立てたところで滑稽なだけである事を理解して欲しいですね。
漢字と言う素晴らしい表現媒体が有るのに利用しない、使えば安っぽく見られてしまう・・・
こんな事は外国では考えられませんね。
原因は何でしょうか? いまだに消えない欧米への劣等感、アジア諸国への軽蔑意識、そんなものが残っているからではないでしょうか?
その意識こそが前大戦では欧米と肩を並べたがり、近隣国に迷惑を及ぼしたのですけどね。
第一、日本より進んだ欧米諸国がいくつあると思っているんでしょうね。常任理事国になろうかという国が、いまだに欧米文化に劣等感を持っているなんて違和感を感じないのでしょうかね。
トヨタ、ホンダ、マツダ、三菱、富士通、日本電気・・・
外国でも一流と言われる日本企業は日本名を大切にしています。(商品名は横文字だが・・・)
横文字名の企業が新聞を賑わすに付け、横文字名称がカッコイイと思うよりも、多くの場合は不透明な理由で日本語名を付けない理由があるんじゃないかと考えてしまうのは、考え過ぎでしょうか?
3週間前にようやくプレイステーション2(PS2)を買った。
ゲームも同時に二本ほど購入したが、そのハイレベルなCGにはやはり驚きました。勿論噂では聞いていたし、デモも見た事がありましたからハイレベルである事は知っていましたが、実際に自宅のTVで見てみると改めて感動するほど高技術なものでした。
そんな中、連休初日の4月28日、偶然にもグランツーリスモ3を発売日に購入!
欲しかったソフトにも関わらず、発売延期が繰り返されたため発売日を知らなかったのですが、子供が新聞の折り込み広告で発見。2件目の店で運良く購入できました。
早速遊んでみると、そのあまりにも高レベルなプログラムに感動しました。完璧に組み上げられたサーフェス空間と、その中をコントローラーの操縦から実車のレスポンス分だけずれて動く車。車の動きと完全にシンクロしているエキゾースト音や風景の動き!
機能的にはCADのウォークスルーと同じような物かもしれませんが、その完成度、技術力には残念ながら比較する事すら出来ないほどの差が有ると思います。
ニュースステーションでグランツーリスモ開発の様子が放送されていましたが(私は終盤の少ししか見られなかったけど)、最高水準のソフトウェア技術者が2年もの期間缶詰になって作成を続けたとの事。
どうしても私はCAD業界と比較してしまいますが、技術力の差は歴然としているでしょう。スタッフの熱意も長期間缶詰になってまでソフトを作り上げる事が出来るかどうかは当のご本人方の方が承知しているはずです。
そして、その結果の価格が、かたや7800円、かたや100万円・・・
販売本数が全く違う事は判りますが、ユーザーとして理解できる差ではないでしょうね。
グランツーリスモをCAD業界が作ってレースシュミレーターとして販売したら数億円は取られるでしょうね。
逆に、スクエア社やカプコン社がCADソフトを作ったらどんな物が出来ていくらで売るでしょう?
そう言う想像も面白いですね。
頑張れ! 平成13年05月01日
東大大学院の学生さんからメールを頂きました。この随想に同感する事が多いとの事。好き放題の内容を平易な文章で書き綴っただけですので、優秀な人から褒められると恥ずかしい限りです。しかも、私の文章はタイプミスが多いし・・・(^^;;;)
彼のホームページを覗くと真面目で熱心な様子がうかがえます。
皆さんも是非覗いてあげて下さい。
最近の若年世代の工学離れで悲しく暗い気持ちになっていましたが、彼のように優秀で熱意のある若者が工学を志してくれている事を知り、明るい気持ちになれました。
まだまだ、日本も捨てたもんじゃないですね。
さて、私の予想と大幅に反して何故かこの随想に人気が有ります。(゚o・)?
当初は「非難轟々だろうなぁ~」と予想していましたが、「同感です」と言うお褒めの言葉がちょくちょく届いております。感じている事は同じなんですね。
で、理由を考えたのですが、最近の世情を考えると八方美人型玉虫色の発言よりも、いきなり核心部分に切り込む話の方が人気が高いですね。
驚異的な支持率を誇っている小泉内閣も、小泉純一郎氏や田中真紀子氏のように核心部分だけを気兼ねせずに切り込んでいく姿勢が支持されるのでしょう。
それだけ、現代人は内面的には不満を持ちながらも、表立って発言できない状態なのでしょうね。
CADについてもユーザーは同じ気持ちなのかも知れません。
CADに関して私は初心者ですが、初心者であるが故に他との比較が出来ているのだと思いますし、メーカーさんと特に関係を持たないからこそ言いたいことが言えるのだと思います。
これがベテランの人だとそうも行かないでしょう。関係者との関わりもあるでしょうし、「ベテランが何をバカな事を」と言う非難が生まれて来るかも知れません。言いたい事が有ってもなかなか発言し難くなると思います。
私は、初心者としての気持ちを忘れずに、これからも言いたい事を書き綴って行きたいと思います。
雑誌に? 平成13年4月23日
雑誌「CAD&CG」で、私のページが紹介されてたんですね・・・
全然知らなかった・・・f(^^;;)
乱造工房さんのサイトを覗いていたら書いてあったので、調べたら2月号に本当に載ってた。出版社さんも連絡くらいしてくれたらいいのに・・・。
3DCAD操作法のページが紹介されてましたが、初心者向けの教材として作ったものですから、そのあたりが評価されたみたいですね。
ただ、これも元々は講習会用テキストの価格が驚くほど高額だったことに反感を持ち、「それなら別のソフトで汎用テキストを作り無料で利用できるようにしたい」って言うのがきっかけです。バカ高いソフト代にバカ高い講習料、そして講習料とは別に必要となるテキスト代・・・
ソフトの講習って運転免許とは意味が違います。免許なら資格さえもっていればどのメーカーの車でも運転できますが、ソフトはその機種専用の講習が必要です。ソフトが変更になれば講習で受けた知識は大半が使えなくなります。
「講習は必要な人だけが費用を負担して受ける」と言う考えは高く評価しますが、その講習から利益を得ると言う考えは評価できません。
自社製品の取り扱い説明なんですから・・・、それにマニュアルが親切なら講習会の必要性は半減以下に減るんじゃないかな?
あなたの会社では、自社製品の講習会にCADなみの費用を請求していますか?
まして、そこで使用するテキストに広辞苑なみの価格を請求してみたら、お客さんはどんな反応を示すでしょうか・・・。
CAD利用技術者試験で時間内にDXFかBMI形式で答案を保存しなければいけないように試験制度が変更になった事は以前書いたとおりですが、これはDXF形式やBMI形式での一発保存機能があるソフトなら支障有りません。でも、ウチのHelixにゃそんな機能が付いていない!
これは困った・・・
これはHelixに対する差別だとクレームをつけたら、JPSAの方で何とか考えてくれるとの事だったのですが、1ヶ月以上経ってようやく回答が来ました。
「今回は時間外でのデータ変換は認めますが次回からはダメです」との事らしい。
特定のソフトだけを優遇できない向こうの立場も判るけど、これはちょっとHelixユーザーには負担が大きいですよね。
実質的な締め出しと取られても仕方ないように思います。
この怒り、IBMにしかぶつけられないんですが、実質的に困るのは資格取得を目指していたユーザーです。Helixユーザーにとって一級取得は今回が最後のチャンスになりそうです。
継続的に利益が出る商品は販売者から見ると「おいしい商品」ですよね。消耗品が必要な物、保守契約で儲けられる物、定期点検が必要な物・・・
方法や項目は多種多様に有りますが、定期的な収入は大きな魅力でしょう。
特に年次更新の保守契約や定期点検は定価が通用する世界ですし、必要性を理解してもらえれば、客の方からも歓迎されます。おまけに、客との繋がりが途切れることなく継続しますから、次の営業もやり易く他の企業に客を取られることも減ります。
私が、前の課で企業を指導していた頃は商品を売りっぱなしにせず、保守や点検を営業品目に盛り込むよう指導していました。
しかし、これは客の側にすると定期的な経費負担が増大します。必要性が理解できる場合は歓迎されますが、「どう考えても不必要だろう」と思える場合は反感を買うことになるでしょう。
計測器や精密工作機械の保守整備や定期点検は良い仕事をする上で必要不可欠ですから、我々ユーザー側も納得できますし、必要経費として理解できます。
しかしそれに対して、CADソフトウェアの保守契約は理解しがたいものがあります。
一般的にはソフトウェアはバージョンアップ制度(極めて安い価格で新性品と交換してくれる制度)がありますから、その制度を採用すれば保守契約なんて必要有りません。事実、CADも低価格帯の物は全てバージョンアップ制度の対商品です。
しかし、 ミッドレンジ以上になると、実質上不必要なサポート契約(問い合わせたら質問に答えてくれる契約)とバージョンアップ制度が併合された「保守契約」が殆どです。
勿論、「マニュアルを読むよりも問い合わせに答えてくれる方が良い」と言うユーザーも多いでしょうが、「そんなものに毎年10万も20万も払うくらいなら自分で調べるか人に聞く」と言うユーザーも多いはずです。
サポート契約とバージョンアップ費用を分離してくれれば支障ないのに、それをしてくれず毎年高額な契約料を取られる。サポート不要のユーザーにとってはこれほど馬鹿げた事はありません。
事実、私の所ではHelixの保守契約を22本契約していましたが、私が担当した昨年1年間を見れば、ただの一度もサポート依頼はしませんでしたし、バージョンアップも有りませんでした。高額なサポート料は一切のサービスを受けられることなくタダ取りされてしまいまった訳です。
普通の商売なら詐欺と言われても返す言葉は無いでしょう。
CADユーザの皆さん、あなたの会社でそう言う商売をしたら客は黙って支払いをしてくれますか?
でも、あなたは黙って支払っているかも知れないんですよ。現実に気付いて一言でも声を挙げていく事が必要な時期が来ているのではないでしょうか?
また、そう言う定期的に儲かる「おいしいソフト」と、売り切りでバージョンアップはメーカーが直接行う「旨みの無いソフト」では販売店の姿勢にも問題があります。
おいしいソフトは強く売り込んできますが、旨みの無いソフトはこちらから問い合わせても反応が鈍いですね。鈍いと言うより売る気が無いように見えます。
Helixの後継を選考していたとき、Helixに対して同じカーネルを使い、ほぼ100%のデータ互換を有する頭脳Centuryは旨みの無いソフトであったため、販売店に問い合わせても反応が返ってきませんでした。
やむなくメーカーと直接交渉しましたが、客にとってありがたいソフトで有っても、販売店にとっておいしくなければ普及しないと言うのは、「売り込んだものしか買わないだろう」「客は深い情報を持たないだろう」と言うように客がバカにされているとしか思えません。
立体印刷 平成13年4月03日
3DCADの普及がなぜ遅いのか?
原因は色々有るでしょうが、折角の立体形状を立体として印刷できない事は大きな原因の一つでしょうね。
普通の三面図ならばプリンターやプロッターで簡単に出力できて、相手に手渡す事が出来るのに、3D図面は3Dのまま渡す事は出来ません。これは生産現場でも、取引先への情報伝達の手段としてでも致命的でしょうね。
3D図面は形状の情報を伝達する能力は優れているにも関わらず、伝達された情報はパソコンと専用ソフトが無ければ見る事すら出来ません。直尺を当てて寸法を取ることも出来ないし、加工中に見やすい位置に貼り付けておく事もできない。取引先でさっと広げて見せるなんて事も当然不可能です。
あれだけの表現力を持ちながら、活用する事ができないなんてもったいない限りです。
前々から不思議に思っていたのですが、なぜ立体視出来る印刷をしないんでしょう?
ホログラフィーが無理なのは判るけど、せめて3Dメガネを使えば立体視出来る程度の印刷なら簡単だと思うのですが?
今の技術なら、まともに開発すればかなり出来の良い物が期待できると思うのですが、そう言う噂すら聞いたことが無いですね。
まあ、加工現場で実用に耐えうる物がすぐに出来るとは思いませんが、取引先との形状情報の伝達には効果があるように思いますし、開発を続ければ加工現場への情報伝達にも有効な製品が出来てくると思います。
ソフトメーカーさん、是非考えて欲しいですね。(^^)
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